友人関係を壊したくなくてアパレルショップ店員を辞めました。

私は、結婚を期に前職を退職して、専業主婦をしていました。
同じ頃、仲の良かった友人の一人が念願の小さなアパレルショップをオープンしました。
私は、自分のことのように喜んだのを覚えています。

しばらくして、その友人から私に、お店で働かないかとお誘いを受けました。しかし、私は、彼女のお店で働く事には消極的でした。
今まで、友人だった仲が、雇い主と従業員になることによって、関係が悪くなってしまうのではないかと不安だったからです。
正直に自分の気持ちを話して、一度はお断りをしました。

しかし、「信頼できるのは、○○(私)だけだから」、「旦那もぜひ○○(私)に手伝って欲しいと言ってる」とプッシュされ、私のとり越し苦労かもしれないしとも思い、彼女に押し切られる形で働くことにしました。

最初こそ、友人とお店でもいままでと変わりなく、話しをしたり、将来の展望を話したりと、楽しく仕事をしていました。
ただ、この状況は、長くは続きませんでしたが。。

私の仕事は、朝から晩まで11時間勤務で、基本ひとりなので、お昼休みはなく、ランチはお客さんのいない間にカウンター内でお弁当を食べる毎日でした。
お客さんの来店はまばらだったので、忙しいということはなかったのですが、逆に、ヒマ過ぎて時間を持て余すことが辛かったです。
給料も安く、超過勤務手当てなどもなかったです。
勤務時間等、勤務内容について最初に詳しく確認しなかったのは、反省点です。

これに加え、日に日に友人の態度は、傲慢になっていったのです。

ある日は、お店に来るなりよそよそしい態度で、全く会話もなく、重苦しい空気の中仕事をした事がありました。
何か気に触る事をしてしまったか、言ってしまったのか?と思いましたが、全く心当たりはなく、友人に聞ける雰囲気でもなく悩みましたが、このような事が度々あり、そのうちどうでもよくなってきてしまいました。

仕事を始めて4ヶ月くらいですでにお店に出勤するのが、億劫になってきてしまい、帰宅後も主人に愚痴る毎日になっていました。
仕事で疲れて帰ってくる主人に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
さらに、勤務時間も長いため、新婚であるのに家庭のことがしっかり出来ないことにも気になっていました。

そんなモヤモヤした気持ちで働いていたある日、私は、商品に汚れを見つけました。お客さんがお金を支払って定価で購入するものが、汚れているのは良くないと思い、電話で友人に汚れがあるをことを伝えました。
しばらくして、友人は、不機嫌そうにお店に来て、汚れがある商品を店頭から下げていました。次の日、友人から唐突に、「うちの旦那が○○(私)は細かいなって言ってた」といわれ、私は間違っていたのか?出過ぎたことをしたのか?と思うと同時に、友人にはついていけないなと感じてしましました。
今思うと、彼女の旦那さんが言った事にして、私に抗議したかったのかなと思います。。
彼女も私の仕事に気にいらないところがあっても、友人であるから言いづらかったのかもしれません。お互いが気遣っているのではなく、気を使っている感じでした。
その後も、事あるごとに、明らかに私は関係がないことでも私の失敗であるかのように言ってくるようになり、あきれて、言い返す気にもなれませんでした。

このような状態になるのが嫌で、一度断わったのだったとあらためて感じ、友人関係が崩壊してしまう前に、お店を辞めよう決めました。
友人には本当の気持ちを話して気まずくなるのも嫌だなと思い、体力的に続けられないという理由で退職を願い出ました。

この頃には、私もかなり精神的に疲れてきていて、体調もあまりよくなかったので、早く辞めたかったのですが、「後任が決まるまで待ってくれ」といわれ、渋々承諾しました。
しかし、いっこうに新しい人は決まらず、探している様子もなく、私の体のことをまったく気遣う気もなさげな友人の態度にかなり幻滅してしまいました。
やはり、友人も気づかぬうちに私を友人としてではなく、従業員としかみなくなっていたのではないかなと回想します。

結局、後任が決まっても、理由をつけてなかなか辞めさせてはくれず、私の方が月末を区切りに辞めますと半ば強引に退職しました。

後日談として、他の友人から聞いた話では、お店をオープンした友人は、私がどうしても彼女のお店で働きたいって言うから雇ってあげたと話していたそうです。
結果として、友人関係が壊れないようよう辞めようと決めたけれど、辞めた時には、私の中ですでに友人関係は崩壊していました。

人生の中でとても苦い経験となってしまいました。

臨時職員として生活保護受給者の窓口担当、精神的に疲弊

わたしは、臨時職員として近くの役場で働いておりました。臨時職員だと、公務員試験ではなく民間の試験のような形での面接となります。
正直、役場というと暇だろうと思い受けました。たしかに、最初に配属されたところはとても暇でした。暇過ぎて、時間がたつのが遅かったように感じます。
そこは、あまり市民の人が来ないような部署なので、全体的に静かでした。掃除などもしていました。
そして次の年度に、異動になり、次にいったのは、生活保護の受給者の部署です。それまでいた、まちづくり関係の花形の部署とは180度変わり、とても大変な仕事でした。
正職員でないけれど、窓口にも出て、生活保護受給者の対応をしました。やはり、わけありな方も多く、怒鳴ったり、騒いだり、壮絶な空間でした。

窓口も窓口で大変なのですが、電話もバンバンかかってきます。とくに、精神疾患の方からの電話は、何度も何度もかかってきました。

慣れた職員のひとは、適当にあしらって、うまいこと電話を終わらせるのですが、慣れていない新人さんは真面目に話を聞いてあげていたので、かなり時間がかかってしまい、事務作業などもなかなかはかどらないという実態でした。

そして、一番怖かったと思うのが、自宅訪問です。だいたい、月に1度はケース(生活保護受給者)の家を訪問し、近況を聞いたり様子をうかがったりするのですが、男性のケースの家を訪問する時がこわかったです。20代の女性の職員はなめられることも多いため、玄関先で話し、書類に記入してもらい、押印してもらいます。
しかし数年前、他県の自治体ではケースワーカーがケースに刺されるなどという事件もあったため、常におびえながらの訪問でした。
実際、家にあがってお茶も飲んで行ってくれという人もいましたが、お茶を飲むのも怖かったです。
こういった仕事のため、職員もかなり病んでる人が多く、療養休暇を取っている人もいました。。
ひとりあたり、担当するケースが100人以上なので、ひとりひとりに時間をかけている場合ではありませんでした。

そしてなにより、正職員じゃないのになんでこんなハードな仕事をしているの?残念な配属だったねぇ・・・といろんな人に言われ、
わたし自身もだいぶ精神的に疲れていたため、途中で退職させてもらいました。

官公庁は、部署によって、仕事量や仕事の難易度、人の雰囲気が全然違います。
すべては、運だと思います。
福祉系の部署の窓口は、みんな配属されたくないようでした。

仕事を辞めたい

人間関係が原因で介護士として働いていた会社を辞めました。

自分は介護福祉士として介護の仕事をしていました。特別養護老人ホームで介護福祉士のリーダーをしていました。

そこの施設は人間関係が非常に悪くて、ギスギスしていた感じになっていました。自分はリーダーでないときはそのギスギスした感じでもリーダーのいう通りにだいたいは仕事していましたから、メンタルは大丈夫でした。

それから介護の世界はやはり、待遇の問題もあり、離職率が悪いということが起こりやすいです。自分の施設も離職率が激しくてついにはみんな離職していき、自分が経験が浅くてリーダーになっていきました。

そして新しい施設長がきてから改革をして今からもっとよりよい施設にすると宣言して改革をしていきました。自分もそこの改革路線を進んでいきました。それから、やはり、改革をしていくとリーダーになって今まで自由にメチャメチャしていた、職員たちをなんとかまとめようとする風潮になってきました。

やはりかなりな反発が待っていました。暫くはかなりやる気があって反発にも耐えていきました。

しかし、自分のメンタルは徐々に悲鳴をあげていっていました。なかなか眠れなくなったり、仕事から帰ってきても仕事のことを考えていました。それから、職員の人事考課をやる話になりました。

やはり能力主義を急にいれると、凄まじい反発力が働きはじめました。そうしたら改革路線と現状維持の対決になっていきました。自分は改革路線にはしりました。

それからは毎日会社では喧嘩が始まりました。怒りの矛先は自分にガッツリ入ってきました。それからは自分はだんだんと眠れなくなり、落ち着きもなくなっていき、精神科にいきました。

鬱状態でした。薬を飲みながら仕事をしていきましたが日に日にストレスが増していきました。それからは仕事を休むようになっていきました。仕事は好きですが人間が怖くなっていき、改革をやっていくメンタル耐性がないままやってしまったために病気の悪化はすぐにきてしまいました。

職場の環境はさらに悪化していき、改革をしていた職場の職員はどんどんストレスと諦めから仕事を辞めていきました。自分はもう発言力を失ってしまいました。何か新しいことをやる恐怖がなくなっていきました。

病気の悪化は進んで休みでもひたすら寝ていたい気持ちになり引きこもりになっていきました。それから限界を感じて仕事をやめました。やはり改革をするのは覚悟と強いメンタルが必要だなあと思いました。

鬱に理解のない時代、病で会社を辞めました

自分が、実際に学生が終わり就職する時期になり自己の体調不良に気が付く事になりました。

それは、きっと理解出来る人は非常に少ない事になると思います。精神的に病でした。
突如発生してしまった自分の身に起きた現実でありました。

ですが、時期的に就職時期。バブル時代も終わりになっている時期でしたが、今にして思うととても良き企業でした。

採用になったものの、入社当時から突如発生して精神の病をもっていました。

精神科に通院しながらの勤務となっていましたが、会社に適応する事が実に困難なものでした。

仕事は出来るのですが、会社という組織に不適応なのです。そして、仕事に身が入らないのです。

本当に困ったさんでしたが、これも病の仕業なのですから実に厄介です。
こうした現状も、人には理解できるものではないと思います。

こうした状況になると、やはり病を理解してくれる作業所といった所での就労が最適になるのだと、今になり理解出来ます。

精神的な病を理解して下さる人は、きっと世の中本当に一握りになるのかもしれませんよね。

ただ、仕事や辞めたいのは理由が違っているのです。精神的な病の背景には、脳の障害が隠されている事が平成の世の中になって理解されてきました。

発達障害です。私も、この発達障害です。そして、なかなか場面場面に適応しにくい症状のあり、現在も会社での就労は困難極まりないのです。

仕事もしたいのですが、上手く会社のシステムについていけないと言うのが現実問題であります。

脳の問題になるのでしょうね。脳が過敏に機能しすぎている状況といったらいいのでしょうね?

少しづつでも、脳が穏やかに動く様になる薬を投薬しながら、現在生活しています。

決して、自分でも無理をしない生活を肝に銘じて生活しています。できる事とできない事を自分で明瞭かする事です。

そして、ご理解を頂ける方を周囲にどれだけ増やす事が出来るのか?また、理解者と思いにくい方とは今はお付き合いをしない事にしています。

ご理解を頂けないと自分が結果として苦しくなります。

こうした自分の経験からも現在仕事にいけない、辞めたいと思っている人で私の様に病を抱えている方は一度しっかりと受診してください。

きっと、もっと楽に生活をしていく事ができるはずです。

自分の身体は自分が一番よくわかります。そして、こうした現状を理解してくれる人は必ずいますから大丈夫ですよ。
そして、必ず道は開かれていますから。