成績優秀だが、月収に差がない

私は、某家電量販店に努めておりました。
勤務部署は営業部で、お客様と相対をしてお望みの商品を販売する部署です。
私の勤めている会社は、ノルマというものはありませんでしたが、目標は与えられました。その中で、担当部門というのもら与えられ、その部門の売上も管理するというのが主な一般職の仕事になります。
社員の中には、売上に対して貪欲な若手メンバーから、やる気のない中堅メンバーまで色々なメンバーがおり、もちろん月別の売上も大きく差が出て参ります。ひどい時では、売上が半分以下の時もあります。更には、それが当たり前の状況となり、与えられる目標すら大きな差が出て、頑張る人間にのみ大きな負担を与えるという環境も生まれました。
一般的に考えれば、成績優秀者と、成績不振者であれば、成績優秀者に給料を多く貰えると考えますが、この会社は違います。賞与に多少の違いが出るだけで、月間の給料に出来高は全くなく、頑張っても頑張らなくても、給料は同じなんです。なので、中堅メンバーは頑張らなくても給料を貰うことが出来るので、やる気が出ない。故にそのメンバーが減らない為、負のスパイラルが終わらないのが現状でした。
頑張れば頑張るほど評価される。
年齢、学力は関係ない。
そんな言葉に魅力を感じて入社をしたのですが、なかなか、理想と現実は違うものでした。
主任職に昇進すると、メンバーの管理となるのですが、ここも大きな問題なのですが、下手をすると一般職の方が仕事が辛いというメンバーが出てきます。主任職になれば、役職手当や基本給も上がりますので、その分頑張るものなのですが、中堅の主任職は、うまくサボる方法を知っており、一般職にやらせるという現象も起きてきて、それを見ていて本当に嫌気をさしました。

それでも我慢をして仕事を頑張り、主任職を束ねる統括職というものに着きました。この統括職もかなりブラックで、責任は大幅に上がり、仕事量も増え、上からのあたりもきつくなります。ですが、この統括職には手当は全くないのです。ここが私の限界でした。
頑張っても頑張っても報われないことがあるんだと思い、私は退職を決意しました。

現在では、自営業を営んでおり、頑張ったら頑張っただけ自分に返ってきますし、サボればその分自分に返ってきます。
失敗をしても、大企業であれば給料がもらえますが、自営業は失敗をすれば収入がなくなる危険性もあります。
そんなプレッシャーと戦いながら生活をしていますが、頑張ったら頑張っただけ自分に返ってくるという素晴らしい環境のもと、これからも頑張っていこうと思います。

18時間労働に見合わない給料のホテルマン

24時間営業のホテルでは、夜勤の仕事は女性でも当たり前でした。夜勤と言っても18時間労働の2時間休憩です。2日分働くことになるので夜勤明けの日は勤務はありません。昼に出勤して翌日の朝に退勤ですが、毎日のように残業があり、残業が毎日2時間を超えることも当たり前でした。また、業務内容も一言で言えば「何でも屋さん」です。接客サービスはもちろんですが、お部屋のゴミの回収や排水溝の詰まりやウォシュレットの修理なども当たり前でした。18時間ずっと時間に追われながら、接客・電話対応に様々な書類の作成、お部屋の修繕、デリバリーなどホテルの規模が大きかったこともありますが、とにかくあらゆる業務をこなさなくてはいけませんでした。時にはクレーム対応に相当な時間を取られることもあり、仕事が進まずにずるずる残業コースへ。 職場の人間関係は恵まれたことにそんなに悪くはありませんでしたが、長時間一緒に仕事をして過ごしているため、不倫や社内恋愛が非常に多かったです。長時間拘束され、あまり休みもなく出会いもないため、これは必然のような感じもしますね。私が辞めようと思ったきっかけは、突然体中に出てきた蕁麻疹でした。勤務時間は固定ではなく、シフト制のため、夜勤・遅番・早番など様々な時間帯があり、ランダムに入ってきます。時には、夜勤・明け・早番などのシフトもあり、身体的にもかなり負担になっていました。年をとればとるほど夜勤もきついようで、年配の先輩はいつもデスクでうとうと、ガクンと肘がデスクから落ちる姿は何度も見てきました。接客の仕事は好きだったので、接客に関してはストレスも感じずに、たまにあるクレーム対応が億劫なだけでしたが、様々な時間帯での勤務、不規則な生活に生理不順になり、体のリズムもぐちゃぐちゃでした。そして、決定打となったのが、給料です。業界的に給料も低いことで有名だとは思いますが、休みが7日で1ヶ月夜勤をしても手当としてもらえるのは1万程度でした。日勤で働いてもそんなに差はありません。残業代も小遣い程度しかもらえませんでした。働きに見合った給料も貰えずに、体を壊しては何もならないですし、長くはこの生活は続けられないと感じて、1年でホテル業界とはさよならしました。24時間営業の仕事では夜勤も当たり前ですが、それに見合った待遇と社員の健康面の配慮がしっかりしていないと、ただでさえ従業員の回転率が高いのに今後は出て行くばっかりになってしまうのではないかと感じます。

損保会社事務 上司のパワハラ酷い!

結婚を機に転職いたしました。
全職は営業職でしたので、事務職は久しぶりで不安もありましたが、就業時間は朝9時から18時と
就業時間があってないような営業職時代に比べたら、きっちり18時で終われるのが魅力で転職しました。
転職先は損保会社です。小さな部署の中なので昼間は、ほかの社員は外出が多く男性上司と私の二人になります。
損保の事務の仕事については初心者なので、その上司から仕事を教わっています。が
この上司口が悪く酷いパワハラなんです!こんな人初めて!とびっくりしました。
言われた通りやってりゃいいんだよ!なんて会社で発する言葉でしょうか?
ほんとうにびっくりしました。
1カ月過ぎたころ他の社員さんに廊下で『仕事はそろそろ慣れてきましたか?』と聞かれましたので、思い切って上司の口の悪さに驚いていることを告げました。
そしたら他の部署でも周知の事実だったようで、みんな酷いこと言われて実は陰でキレてる人もいます!我慢していますよとの事でした。
暴言は私に対してだけではないんだと少しだけ納得しましたが、常に机を挟んで顔を突き合わせながら仕事をするので、耐えられるか自信がないです。
その上司は支店長の次のポストの役付きなんです。
悲しいかな我慢するしかないですよ。
時々言い訳のように『私の口の悪いのは本意ではないから気にしないでいいんだよ』言ってきます。
自分に都合がよいですよね それに自覚があるのなら直してほしいです!相手が不愉快になるような言葉を使わないとか、ちょっと気にすれば防げるのに!と悲しくなります。
そんな悪い雰囲気の中で仕事をしていると仕事の効率が下がりますし、仕事時間が早くすぎないかな〜なんて仕事に集中できません。
今は仕事を教わる立場なので、意見したりできませんので、はい はい と素直に仕事を覚えることに集中しようと努めています。
ですからなるべく、昼食は外に出て上司の顔を見ないで済む時間を作ってホッと一息つける場所でくつろぐようにしています。
コーヒーを飲みながら解放されて昼休みの1時間が至福の時になっています。
銀行や郵便局に行ったりする外に出られる時間はなるべくゆっくり時間をかけたくなってしまいます。
毎日帰宅すると夫に愚痴を聞いてもらっています。
ふんふんと聞いてくれる夫には申し訳ない気持ちです。
言い終わった後は、明日こそ我慢して愚痴をはかないことにしよう!と思うのですが
また会社に行って嫌な言葉を浴びせられるかと思うと本当に憂鬱で仕方ありません。
まだ就職して2カ月目に入ったところであきらめるのは早すぎるでしょうかね?
私が成長できる職場なのでしょうか?
今悩んでいますが、今度夫に愚痴ったらきっと 辞めれば?と言ってくれそうです。
というか言ってほしいです。背中を押してほしい!でも自分で決めたいと思います。

IT営業職をやめた理由(20代/女性)

私はIT企業にて営業職をしていました。
周りは男性ばかりで女性社員は私一人。激務でした。会社の近くにマンションを借り、夜中まで仕事をしてタクシー帰宅するのは平均午前3時すぎ。化粧もとらずそのまま倒れるように数時間睡眠し、また出勤という日々を送っていました。もちろん出勤時間は朝一です。システム変更や障害発生など、深夜対応や休日対応も日常茶飯事です。
事務作業などの雑務からお客様対応まで幅広く行わなくてはならず、精神的にも肉体的にもしんどいと感じる様になりました。もちろん、やりがいはありましたので仕事に打ち込んでいましたが、心のどこかでこの生活はいつまで続くのだろうか、と悲観的に思うようになりました。同世代が次々と結婚していき専業主婦となっていったこともあり、そんな姿に憧れることもありました。ある休日、友達と楽しく出かけていた私に一本の電話がなりました。「システムダウンしているのですぐに来てほしい」というお客様からの電話です。休みなので、エンジニアもすぐにはつかまりません。お客様からは怒りの声。上司に相談するも、投げやりで「なんとかしろ」の一点張り。もう無理だと思いましたが、とりあえず、私服でしたがそのままお客様の元に伺い状況を確認。周りの友達は今頃楽しく遊んでいるのになぜ私だけ・・・と、もう涙がでかかっていました。運良く私の知識のみでその場をおさめることができたのですが、これから先退職までこんな日が続くのかと思うと、ぞっとしました。
そんな中、私も結婚をしました。ですが、仕事は継続していました。仕事も家庭も両立するのが理想的だという周りの意見に押され、続ける事にしたのです。もっともっと仕事も頑張ろうと思いました。
年が明けた春、新入社員が入社。私は教育係になりました。
かわいい後輩とやりがいのある仕事。私はやる気をみなぎらせて日々の仕事をこなしていました。
そんな中、複数の社員が退社しました。突然でしたので、後任者も見つかっていませんでした。とりあえず残っているメンバーで抜けたメンバー分を補わなくてはならない。
でも抜けたメンバーは1人ではありませんでしたので、与えられていた予算は倍近く膨らみ、抱えるクライアント数も倍増。加えて新人教育。もう発狂寸前と言っても過言ではなかったと思います。
結婚と同時に家を購入したため、会社から家が遠くなり深夜タクシー帰宅が出来なくなりました。そのため会社に泊まる日が一年間続いていました。夫とは週末ほんの数時間しか顔を合わせず、会話もほとんどありません。冷戦状態となり、結婚2年目にして離婚寸前になってしまいました。
仕事と家庭の両立。これは今の私にとっては無理なんだと思い、夫と相談の上、退職を決意しました。退職後の現在は、事務職で働いています。

食品会社のOLでしたがお局様のターゲットになって辞めました

食品会社の、原料の検査の部署に配属されたけれど、お局様のターゲットになってやめました。
別の人が寿退社をして、年度の中途半端な時期に部署移動でした。
私はもともと検査の知識は持っていて、それより前の職場でも似たような仕事をしていましたが、新しい部署に異動したら、フラスコの置き場から試験管のしまい場所まで一から全部覚え直さなければいけません。
私もいつまでも「以前の部署はこうでした」と言うつもりはありませんし、一切言いませんでした。
しかし、その部署のお局様らしき女性がとてもキツイ人でなかなかなじむことができませんでした。
「前の部署はどうだったの?」と聞くので「こうこうこうでした」と答えると「ウチでは違うから、いつまでも前のつもりでやらないで」とキツイ口調で言われてばかりでした。
新しい部署は前の部署よりいろいろと細かいところまで記録をとならなければならなかったり、器具の洗い方が違ったりしました。
私も一生懸命慣れようとしたのですが、失敗が続いてしまいました。
そうなると、他の人のミスも全て私のせいにされました。
使った覚えのない試験管が汚れていたとか、ビーカーが出しっぱなしだったとか言われ、弁解の機会も与えて貰えませんでした。
また、その部署みんなで使っている器具や機械などの優先順位も不文律のようなものがあり、それを知らされていないのに、間違えるととても責められました。
新しい部署は文章になっていない慣例がとても多く、教えてくれないのに、侵すととても非難されます。
まるで、毎日私だけルールを知らないゲームに参加させられているかのようでした。
後だしでじゃんけんばかりされて、一生懸命馴染もうという気持ちも日に日に薄れていきました。
そんなに私の能力が低いのかな?でも、前の部署ではそれなりに重宝されていた自覚があったのになと落ち込みました。
仕事に行くのは憂鬱な日が続き、このままではダメだと思いました。
貯金は少しあったし、夫もいいよと言ってくれたので、辞めることにしました。
退社までの一カ月はあと何日行ったら会社に行かなくて良い、お局様に合わなくて良いと指折り数えて過ごしました。
退社したあとは二カ月くらいゆっくりと職探しをして、似たような仕事内容の仕事につくことが出来ました。
新しい職場も慣れるまで少し大変でしたが、それでも、ルールの分からないゲームに強制参加させられるというような感覚は無く、憂鬱な日々ではありませんでした。

保育の仕事を辞めた理由

職場環境に悩んで、保育の仕事を辞めました。
上司の先生が椎間板ヘルニアで、その先生とシフトが一緒の時は、オムツ交換など体力を使う仕事を主に一人でしてました。子供の人数は、6〜8人くらいだったと思います。2〜3時間おきに、オムツ交換をしないといけないので、その先生と一緒のシフトに入るときは、体力的に限界でした。52キロあった体重が、47キロまで落ちました。
保育は基本的に、体力勝負です。どんなに子供がかわいくても、体力がないとやっていけません。人間関係にも悩みました。
子供を独占する先生、子供を叱るとき、強い口調、または子供に手を挙げる先生、保護者の文句を影で言う先生、時間ばかりきにして、子供の気持ちになろうとしない先生、そんな先生と仕事をやっていましたので、とてもやりずらかったです。
子供を独占する先生は、いつも同じ子供のオムツしか変えず、子供を叱るとき、強い口調、または手を挙げる先生が怒ると雰囲気が悪くなり、また、子供もも先生を恐れているようでした。保育士とは、子供に恐れられるものではなく、子供に好かれる存在でないといけないと強くおもいました。
保護者の文句を影でいう先生は、OOちゃんのお母さんが嫌いだから。OOちゃんも嫌いとういう感じで、保護者と、子供を切り離して考えることができず、見ていてとても
不快でした。
時間ばかり気にして、子供の気持ちになろうとしない先生は、10時15分までに朝のおやつ、その後散歩11時半から昼ごはんの準備、12時食事介助といったように、大体の時間が決められているのですが、子供が靴を履くのが遅くなったり、ご飯の時間が長引いたりすると、先生がイライラしだしてしまうから、やりずらくて仕方ありません。
子供は、靴を履くのが遅くて当たり前ですし、食事に時間がかかるのも当たり前です。時間ばかりに気を取られ、子供のペースでやらせてあげないのは、とても可愛そうでした。
そして、先生のイライラは子供たちに恐怖、不安などを与えます。
これでは子供が伸び伸びと育つわけがありません。それに、有給休暇もなく、給料は安く、先生達のモチベーションが下がるのも仕方ありません。想像していた職場環境とは、はるかに違うものでした。もっと保育の世界とは、子供達に思いやりをもって、毎日先生はニコニコしていて、子供達に慕われるというイメージでした。
こうした状況に耐えられず、仕事を辞めてしまいました。

友人関係を壊したくなくてアパレルショップ店員を辞めました。

私は、結婚を期に前職を退職して、専業主婦をしていました。
同じ頃、仲の良かった友人の一人が念願の小さなアパレルショップをオープンしました。
私は、自分のことのように喜んだのを覚えています。

しばらくして、その友人から私に、お店で働かないかとお誘いを受けました。しかし、私は、彼女のお店で働く事には消極的でした。
今まで、友人だった仲が、雇い主と従業員になることによって、関係が悪くなってしまうのではないかと不安だったからです。
正直に自分の気持ちを話して、一度はお断りをしました。

しかし、「信頼できるのは、○○(私)だけだから」、「旦那もぜひ○○(私)に手伝って欲しいと言ってる」とプッシュされ、私のとり越し苦労かもしれないしとも思い、彼女に押し切られる形で働くことにしました。

最初こそ、友人とお店でもいままでと変わりなく、話しをしたり、将来の展望を話したりと、楽しく仕事をしていました。
ただ、この状況は、長くは続きませんでしたが。。

私の仕事は、朝から晩まで11時間勤務で、基本ひとりなので、お昼休みはなく、ランチはお客さんのいない間にカウンター内でお弁当を食べる毎日でした。
お客さんの来店はまばらだったので、忙しいということはなかったのですが、逆に、ヒマ過ぎて時間を持て余すことが辛かったです。
給料も安く、超過勤務手当てなどもなかったです。
勤務時間等、勤務内容について最初に詳しく確認しなかったのは、反省点です。

これに加え、日に日に友人の態度は、傲慢になっていったのです。

ある日は、お店に来るなりよそよそしい態度で、全く会話もなく、重苦しい空気の中仕事をした事がありました。
何か気に触る事をしてしまったか、言ってしまったのか?と思いましたが、全く心当たりはなく、友人に聞ける雰囲気でもなく悩みましたが、このような事が度々あり、そのうちどうでもよくなってきてしまいました。

仕事を始めて4ヶ月くらいですでにお店に出勤するのが、億劫になってきてしまい、帰宅後も主人に愚痴る毎日になっていました。
仕事で疲れて帰ってくる主人に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
さらに、勤務時間も長いため、新婚であるのに家庭のことがしっかり出来ないことにも気になっていました。

そんなモヤモヤした気持ちで働いていたある日、私は、商品に汚れを見つけました。お客さんがお金を支払って定価で購入するものが、汚れているのは良くないと思い、電話で友人に汚れがあるをことを伝えました。
しばらくして、友人は、不機嫌そうにお店に来て、汚れがある商品を店頭から下げていました。次の日、友人から唐突に、「うちの旦那が○○(私)は細かいなって言ってた」といわれ、私は間違っていたのか?出過ぎたことをしたのか?と思うと同時に、友人にはついていけないなと感じてしましました。
今思うと、彼女の旦那さんが言った事にして、私に抗議したかったのかなと思います。。
彼女も私の仕事に気にいらないところがあっても、友人であるから言いづらかったのかもしれません。お互いが気遣っているのではなく、気を使っている感じでした。
その後も、事あるごとに、明らかに私は関係がないことでも私の失敗であるかのように言ってくるようになり、あきれて、言い返す気にもなれませんでした。

このような状態になるのが嫌で、一度断わったのだったとあらためて感じ、友人関係が崩壊してしまう前に、お店を辞めよう決めました。
友人には本当の気持ちを話して気まずくなるのも嫌だなと思い、体力的に続けられないという理由で退職を願い出ました。

この頃には、私もかなり精神的に疲れてきていて、体調もあまりよくなかったので、早く辞めたかったのですが、「後任が決まるまで待ってくれ」といわれ、渋々承諾しました。
しかし、いっこうに新しい人は決まらず、探している様子もなく、私の体のことをまったく気遣う気もなさげな友人の態度にかなり幻滅してしまいました。
やはり、友人も気づかぬうちに私を友人としてではなく、従業員としかみなくなっていたのではないかなと回想します。

結局、後任が決まっても、理由をつけてなかなか辞めさせてはくれず、私の方が月末を区切りに辞めますと半ば強引に退職しました。

後日談として、他の友人から聞いた話では、お店をオープンした友人は、私がどうしても彼女のお店で働きたいって言うから雇ってあげたと話していたそうです。
結果として、友人関係が壊れないようよう辞めようと決めたけれど、辞めた時には、私の中ですでに友人関係は崩壊していました。

人生の中でとても苦い経験となってしまいました。

臨時職員として生活保護受給者の窓口担当、精神的に疲弊

わたしは、臨時職員として近くの役場で働いておりました。臨時職員だと、公務員試験ではなく民間の試験のような形での面接となります。
正直、役場というと暇だろうと思い受けました。たしかに、最初に配属されたところはとても暇でした。暇過ぎて、時間がたつのが遅かったように感じます。
そこは、あまり市民の人が来ないような部署なので、全体的に静かでした。掃除などもしていました。
そして次の年度に、異動になり、次にいったのは、生活保護の受給者の部署です。それまでいた、まちづくり関係の花形の部署とは180度変わり、とても大変な仕事でした。
正職員でないけれど、窓口にも出て、生活保護受給者の対応をしました。やはり、わけありな方も多く、怒鳴ったり、騒いだり、壮絶な空間でした。

窓口も窓口で大変なのですが、電話もバンバンかかってきます。とくに、精神疾患の方からの電話は、何度も何度もかかってきました。

慣れた職員のひとは、適当にあしらって、うまいこと電話を終わらせるのですが、慣れていない新人さんは真面目に話を聞いてあげていたので、かなり時間がかかってしまい、事務作業などもなかなかはかどらないという実態でした。

そして、一番怖かったと思うのが、自宅訪問です。だいたい、月に1度はケース(生活保護受給者)の家を訪問し、近況を聞いたり様子をうかがったりするのですが、男性のケースの家を訪問する時がこわかったです。20代の女性の職員はなめられることも多いため、玄関先で話し、書類に記入してもらい、押印してもらいます。
しかし数年前、他県の自治体ではケースワーカーがケースに刺されるなどという事件もあったため、常におびえながらの訪問でした。
実際、家にあがってお茶も飲んで行ってくれという人もいましたが、お茶を飲むのも怖かったです。
こういった仕事のため、職員もかなり病んでる人が多く、療養休暇を取っている人もいました。。
ひとりあたり、担当するケースが100人以上なので、ひとりひとりに時間をかけている場合ではありませんでした。

そしてなにより、正職員じゃないのになんでこんなハードな仕事をしているの?残念な配属だったねぇ・・・といろんな人に言われ、
わたし自身もだいぶ精神的に疲れていたため、途中で退職させてもらいました。

官公庁は、部署によって、仕事量や仕事の難易度、人の雰囲気が全然違います。
すべては、運だと思います。
福祉系の部署の窓口は、みんな配属されたくないようでした。

仕事を辞めたい

人間関係が原因で介護士として働いていた会社を辞めました。

自分は介護福祉士として介護の仕事をしていました。特別養護老人ホームで介護福祉士のリーダーをしていました。

そこの施設は人間関係が非常に悪くて、ギスギスしていた感じになっていました。自分はリーダーでないときはそのギスギスした感じでもリーダーのいう通りにだいたいは仕事していましたから、メンタルは大丈夫でした。

それから介護の世界はやはり、待遇の問題もあり、離職率が悪いということが起こりやすいです。自分の施設も離職率が激しくてついにはみんな離職していき、自分が経験が浅くてリーダーになっていきました。

そして新しい施設長がきてから改革をして今からもっとよりよい施設にすると宣言して改革をしていきました。自分もそこの改革路線を進んでいきました。それから、やはり、改革をしていくとリーダーになって今まで自由にメチャメチャしていた、職員たちをなんとかまとめようとする風潮になってきました。

やはりかなりな反発が待っていました。暫くはかなりやる気があって反発にも耐えていきました。

しかし、自分のメンタルは徐々に悲鳴をあげていっていました。なかなか眠れなくなったり、仕事から帰ってきても仕事のことを考えていました。それから、職員の人事考課をやる話になりました。

やはり能力主義を急にいれると、凄まじい反発力が働きはじめました。そうしたら改革路線と現状維持の対決になっていきました。自分は改革路線にはしりました。

それからは毎日会社では喧嘩が始まりました。怒りの矛先は自分にガッツリ入ってきました。それからは自分はだんだんと眠れなくなり、落ち着きもなくなっていき、精神科にいきました。

鬱状態でした。薬を飲みながら仕事をしていきましたが日に日にストレスが増していきました。それからは仕事を休むようになっていきました。仕事は好きですが人間が怖くなっていき、改革をやっていくメンタル耐性がないままやってしまったために病気の悪化はすぐにきてしまいました。

職場の環境はさらに悪化していき、改革をしていた職場の職員はどんどんストレスと諦めから仕事を辞めていきました。自分はもう発言力を失ってしまいました。何か新しいことをやる恐怖がなくなっていきました。

病気の悪化は進んで休みでもひたすら寝ていたい気持ちになり引きこもりになっていきました。それから限界を感じて仕事をやめました。やはり改革をするのは覚悟と強いメンタルが必要だなあと思いました。

鬱に理解のない時代、病で会社を辞めました

自分が、実際に学生が終わり就職する時期になり自己の体調不良に気が付く事になりました。

それは、きっと理解出来る人は非常に少ない事になると思います。精神的に病でした。
突如発生してしまった自分の身に起きた現実でありました。

ですが、時期的に就職時期。バブル時代も終わりになっている時期でしたが、今にして思うととても良き企業でした。

採用になったものの、入社当時から突如発生して精神の病をもっていました。

精神科に通院しながらの勤務となっていましたが、会社に適応する事が実に困難なものでした。

仕事は出来るのですが、会社という組織に不適応なのです。そして、仕事に身が入らないのです。

本当に困ったさんでしたが、これも病の仕業なのですから実に厄介です。
こうした現状も、人には理解できるものではないと思います。

こうした状況になると、やはり病を理解してくれる作業所といった所での就労が最適になるのだと、今になり理解出来ます。

精神的な病を理解して下さる人は、きっと世の中本当に一握りになるのかもしれませんよね。

ただ、仕事や辞めたいのは理由が違っているのです。精神的な病の背景には、脳の障害が隠されている事が平成の世の中になって理解されてきました。

発達障害です。私も、この発達障害です。そして、なかなか場面場面に適応しにくい症状のあり、現在も会社での就労は困難極まりないのです。

仕事もしたいのですが、上手く会社のシステムについていけないと言うのが現実問題であります。

脳の問題になるのでしょうね。脳が過敏に機能しすぎている状況といったらいいのでしょうね?

少しづつでも、脳が穏やかに動く様になる薬を投薬しながら、現在生活しています。

決して、自分でも無理をしない生活を肝に銘じて生活しています。できる事とできない事を自分で明瞭かする事です。

そして、ご理解を頂ける方を周囲にどれだけ増やす事が出来るのか?また、理解者と思いにくい方とは今はお付き合いをしない事にしています。

ご理解を頂けないと自分が結果として苦しくなります。

こうした自分の経験からも現在仕事にいけない、辞めたいと思っている人で私の様に病を抱えている方は一度しっかりと受診してください。

きっと、もっと楽に生活をしていく事ができるはずです。

自分の身体は自分が一番よくわかります。そして、こうした現状を理解してくれる人は必ずいますから大丈夫ですよ。
そして、必ず道は開かれていますから。