教育補助 妊娠発覚で退職

大好きなこども相手のお仕事でした。
毎日楽しくお仕事をし、補助の立場と言うこともありこどもたちからも気軽に接してきてくれて、信頼関係を築けていたと思います。
こどもたちの悩み、苛立ちに付き合い、成長するところを見ていられると言う変え難い経験をさせてもらいました。
発達に障害のあるこどもが、心を開いてくれず四苦八苦していましたが時間をかけ、信頼を得て、「大好き。」とまで言ってもらえるようになりました。
そのときは職員と一緒に喜んだものです。
ですが私の妊娠発覚で、退職せざるを得ませんでした。担当上司は産休をとれるように掛け合ってくださいました。前例の無いことということで、簡単なことではなかったと思います。
大きな組織に対し、声を出してくださったのですから。ですが掛け合いもむなしく、産休という対応は絶対無理とのことでした。
組織が主催する研修会では、担当の上司が見下すような話し方で説明をされていました。
それを聞いた職員たちは皆、どんな気持ちだったでしょうか。
まるで「あなたたちは期日が来たらもういらない。」と言われているようでした。
人の上にたつ人が、見下したような言い方ではだれもついていかないように思います。
一般社会ではそうです。失敗したらそれ相応のぺナルティーが与えられます。
ですが、その組織には失敗したからと言って発生するぺナルティーがありません。
テレビで報道されるほどの、人としての失敗をしたときだけあてつけのように与えられます。
そんな人たちばかりではありませんが、中にはそんな人もいると思うと見方が変わりますよね。
「いつか戻ってくる?」と聞いてきた子どもの顔が忘れられません。
大事なお子さんと接してもらう立場で、妊娠し退職すること、とても申し訳なく思いました。
こどもにとっては補助だろうが教員だろうが別れは別れ。
悲しい経験をさせてしまいました。
組織の大きさ、成人してもまた職場として通うということがある一定の人たちには狭い視野しか生み出していないように感じました。
組織が大きいからこそ、人を育てるということを職としているからこそ、視野の広い考えの深い対応をできるようになって欲しいと思いました。
産休についても正規の教員については手厚いほどにあるのに対し、補助だったり事務だったりすると雲泥の差の待遇です。
実際、教員の産休が復帰から1年も経たずにまた産休というループをしている人だっています。
組織の大きさからか、「前例が無いから。「」絶対」と言う言葉がある時点で発展が乏しいように感じました。
時代にあわせて変化も必要かと思います。
結局、前例どおりに退職しましたが、お別れの日にはわたしもこどもたちも涙なしでは手を振れませんでした。

看護助手という看護師さんのお手伝いをする職業です

高卒後、金銭的に大学に行く余裕がないと言われた事でやむなく就職の道へ。
ハローワークに母に連れられて行き、待遇面重視で母の独断にて入社しました。

確かに給与面はとても良かったし、残業も一切ありませんでしたが、入社して唖然としました。

看護助手は皆、親よりも年上のおばさまばかり。
配属されたのは約10人前後の看護助手のうち半数以上がバツイチという状態でした。

職業柄なのか、ここで遭遇したバツイチ女性は皆気が強い!それも、誰かのミスを楽しみにしているようで全員が全員とっかえひっかえに各々の悪口を言って回るような状態でした。

明日は我が身・・・・怖さと後には引けない気持ちから、目立たないように仕事をこなす日々が始まりましたが、それも数か月の事でした。

最初は新入社員の物珍しさと、自分のボロを出さないように努めていた先輩看護助手のおばさま方。
徐々にボロが出てきて、酷い人は、生理になると一切口も利かず挨拶しても無視。
常にイライラしてるのが分かり、仕事にも支障が出る程です。

数名、救いの手はありましたが、夜勤と日勤のローテーションのため、優しい職員が常に一緒に居るとは限りません。

仕事も覚え独り立ちは出来ましたが、理不尽なおばさま方の態度に当時まだ純粋だった私は毎日毎日精神的に落ち着かない状態で仕事をこなしていきました。
もう1つ、業務上で困った事。それは業務を都度教わった時に人によって教え方も要領も順番も異なるという点です。

例えば、Aさんに1→2→3の流れを指導していただいたのに、Bさんは3→1→2のやり方の方が効率がいいと言う。
そして、CさんはBさんとAさんのやり方を否定すると言った具合に、業務の流れが統一されてなさすぎて、どうしていいか分からないという状況でもあったのです。

社会人1年生の私は派閥や業務内容の差異等をどこに相談するべきかもわからず、ただ、ひたすら「大人の癖に我儘な態度で仕事にのぞむ理不尽な人たち」にギャップを感じながらも業務に励んでいました。

結局、入社半年後に男性看護師と社内恋愛に至ったことがおばさま方の絶妙な連携プレーでばれてしまい、結果、言いくるめられて退職の道をたどることに。
心の中では当時「いつもお互いの悪口言い合って、公私混同のくせに!」
と思いながらも今ではやめて正解だとつくづく思っています。

その後あれこれと公私ともに経験を重ね、彼女たちと同じバツイチになった私ですが、今思い出しても強烈極まりないキャラクターである事、そして自分は彼女たちとは別のバツイチ人生としてキリキリとすることもなく別の職場で温和に時を過ごせている事であそこに留まらなくてよかったとつくづく思います。

パチンコ店ホールスタッフはキツイ

今となれば大学卒業してる人を積極的に採用しているパチンコ店。それも最近の話で、まだまだ中学校卒業や、ヤンキー上がりといった荒くれてる人も少なからず勤務しています。
やはり、早番中番遅番といった三交代で、それなりに安定した収入になるので一家の稼ぎ頭(シングルマザー)や大学生には人気の高い職業です。わたしももともと夜の仕事をしていて、最初は気軽な気持ちで高時給・接客業だからとパチンコ店を選びました。
面接当日は、まぁまぁ普通のアルバイトの面接で、スーツの男の人がきっちりと面接。やっぱり昼間の仕事はしっかりしてるなぁと思いました。
面接も無事に通過し、勤務初日。
事務所で同じ番手のスタッフの人がいたので、挨拶と自己紹介をしましたが、目も合わしてくれずシカト。うもすもなく。
困るのが、この人がお局様ということ。
さい先がよくないなぁと思いながら勤務開始。
さっきのお局様がついて教えてくれたのですが、わからないことがあって聞きに行くとイライラしたかんじでも一応教えてくれて。でもそういう態度って、下の人間からすれば接しにくいし分からないことがあっても聞きにくくなるし、萎縮してしまうので環境的には働きにくいんですが。
こんなことを上司に相談できるわけもなく(まだ勤務初日だったので)慣れたら変わるかなっと思って前向きに過ごしました。
勤務初日から一週間ほどたち、ある程度の仕事ができるようになってきたとき、お局様がホールに出てこなくなってきました。
裏でなにか作業してる風なかんじなんですが、ツンツンと裏から出てくるのでなにも聞けず・・・。
そんなある日たまたま裏の事務所に行く用事があったので、行った時、お局様と上司が事務所で遊んでいました・・・勤務して二ヶ月目のことです。
この人たち、今までわたしに仕事を押し付けて裏でさぼりまくってたのか!!!
と、あきれる気持ち半分、怒りの気持ちも半分。
それから一週間ほどたっても、同じサイクルで上司とお局様はさぼっていたので違う上司に相談しました。さぼっているかもしれないことと、働きにくいことを。
一通り話を聞いてくれた上司は、現場を見てないからわからない。そんな人とは思えない。の一点張り。
まぁ確かに今まで目だったことがなければ勤続年数など含めても信頼があるのはわかりますが、証拠を出せと言われても出せるわけもなく。

その日からもまた上司とお局様は変わらず事務所でたばこを吸ったりサボってました。

そして、その数週間後、みんなして新人に仕事を押し付けてさぼっているということに気がついたのですが。

こんな環境で毎日働いてたら、身も心も腐りそうなので、今は育休ですが戻りたくありません。

不動産営業職の労働時間拘束長すぎて辞めたい

入社3年目になります。
町中にある店舗のため来店数が多く接客は毎日あり、週末は夕方まで接客します。
一組につき2時間から3時間接客なので、お昼の休憩なんて全くとれず、昼食は4時ごろようやく取れるという日もあります。
毎日マラソンしているかのような日々です。
接客後は大家さん、管理会社回り、契約書作成、そのほかノルマとして入居者募集看板のメンテナンス10枚、受託と
作業は山ほどあります。
その分基本給に含まれているため、ノルマ分はこなさないといけません。
休みの日はとにかく体を休めるために、家ではひたすら寝ています。
寝ていても仕事の物件に案内している様子が夢で出てきます!かなり神経質になっている証拠ですね。
休みの日も会社からの電話が鳴ることもあります。
こんな生活していて大丈夫でしょうか?
先日はついにひどい頭痛に襲われました。
その時もなんとか時間を作り病院に行かせてもらいましたがただ頭痛薬をもらって帰社し、通常の業務に戻って仕事をしました。
もう帰ってベットに横になりたい!少し休みたい!でも、帰れない現実。
自分の担当のお客さんの仕事は基本自分で対処するのがルールなので、人に頼れないのです。
営業ですから売上を上げて初めて給料として報酬がいただけるので、仕方ないですね。営業職のつらい面です。
嬉しいことはやはり、お客さんにお部屋を紹介して、そのお部屋を気に入って下さり、最後に鍵をお渡しした時にありがとう!と言って頂ける瞬間です。
その時は、この仕事していて良かった!喜んでいただけて幸せだな!と思えるのですが。
やはり体力的に男性よりはだいぶ劣りますね。男性社員が多い店舗で、女性は私ともう一人。
もう一人の女性は、体育会系で体力には自信があると言っていましたが、たまに会話すると疲れるよね〜拘束時間が長いのが辛いね〜とこぼしていました。
以前の在籍していた女性がパートとして店舗にいますが、その方はやはり体力が追い付かずに
辞めようと思ったそうですが、資格を持っていたので引き止められ、パートとして残っているそうです。
女性にはきつい条件なのだと思いましたし、3年続いているのは奇跡なのかもしれないですね〜と思ったりします。
石の上にも三年といいますから、3年務めて一区切りかな!とも思ったりします
頭痛や腰痛が出た時点で、もう体が悲鳴を上げていると思います、辞めるサインですね〜
よく将来の事を考えて決断したいと思います。

成績優秀だが、月収に差がない

私は、某家電量販店に努めておりました。
勤務部署は営業部で、お客様と相対をしてお望みの商品を販売する部署です。
私の勤めている会社は、ノルマというものはありませんでしたが、目標は与えられました。その中で、担当部門というのもら与えられ、その部門の売上も管理するというのが主な一般職の仕事になります。
社員の中には、売上に対して貪欲な若手メンバーから、やる気のない中堅メンバーまで色々なメンバーがおり、もちろん月別の売上も大きく差が出て参ります。ひどい時では、売上が半分以下の時もあります。更には、それが当たり前の状況となり、与えられる目標すら大きな差が出て、頑張る人間にのみ大きな負担を与えるという環境も生まれました。
一般的に考えれば、成績優秀者と、成績不振者であれば、成績優秀者に給料を多く貰えると考えますが、この会社は違います。賞与に多少の違いが出るだけで、月間の給料に出来高は全くなく、頑張っても頑張らなくても、給料は同じなんです。なので、中堅メンバーは頑張らなくても給料を貰うことが出来るので、やる気が出ない。故にそのメンバーが減らない為、負のスパイラルが終わらないのが現状でした。
頑張れば頑張るほど評価される。
年齢、学力は関係ない。
そんな言葉に魅力を感じて入社をしたのですが、なかなか、理想と現実は違うものでした。
主任職に昇進すると、メンバーの管理となるのですが、ここも大きな問題なのですが、下手をすると一般職の方が仕事が辛いというメンバーが出てきます。主任職になれば、役職手当や基本給も上がりますので、その分頑張るものなのですが、中堅の主任職は、うまくサボる方法を知っており、一般職にやらせるという現象も起きてきて、それを見ていて本当に嫌気をさしました。

それでも我慢をして仕事を頑張り、主任職を束ねる統括職というものに着きました。この統括職もかなりブラックで、責任は大幅に上がり、仕事量も増え、上からのあたりもきつくなります。ですが、この統括職には手当は全くないのです。ここが私の限界でした。
頑張っても頑張っても報われないことがあるんだと思い、私は退職を決意しました。

現在では、自営業を営んでおり、頑張ったら頑張っただけ自分に返ってきますし、サボればその分自分に返ってきます。
失敗をしても、大企業であれば給料がもらえますが、自営業は失敗をすれば収入がなくなる危険性もあります。
そんなプレッシャーと戦いながら生活をしていますが、頑張ったら頑張っただけ自分に返ってくるという素晴らしい環境のもと、これからも頑張っていこうと思います。

18時間労働に見合わない給料のホテルマン

24時間営業のホテルでは、夜勤の仕事は女性でも当たり前でした。夜勤と言っても18時間労働の2時間休憩です。2日分働くことになるので夜勤明けの日は勤務はありません。昼に出勤して翌日の朝に退勤ですが、毎日のように残業があり、残業が毎日2時間を超えることも当たり前でした。また、業務内容も一言で言えば「何でも屋さん」です。接客サービスはもちろんですが、お部屋のゴミの回収や排水溝の詰まりやウォシュレットの修理なども当たり前でした。18時間ずっと時間に追われながら、接客・電話対応に様々な書類の作成、お部屋の修繕、デリバリーなどホテルの規模が大きかったこともありますが、とにかくあらゆる業務をこなさなくてはいけませんでした。時にはクレーム対応に相当な時間を取られることもあり、仕事が進まずにずるずる残業コースへ。 職場の人間関係は恵まれたことにそんなに悪くはありませんでしたが、長時間一緒に仕事をして過ごしているため、不倫や社内恋愛が非常に多かったです。長時間拘束され、あまり休みもなく出会いもないため、これは必然のような感じもしますね。私が辞めようと思ったきっかけは、突然体中に出てきた蕁麻疹でした。勤務時間は固定ではなく、シフト制のため、夜勤・遅番・早番など様々な時間帯があり、ランダムに入ってきます。時には、夜勤・明け・早番などのシフトもあり、身体的にもかなり負担になっていました。年をとればとるほど夜勤もきついようで、年配の先輩はいつもデスクでうとうと、ガクンと肘がデスクから落ちる姿は何度も見てきました。接客の仕事は好きだったので、接客に関してはストレスも感じずに、たまにあるクレーム対応が億劫なだけでしたが、様々な時間帯での勤務、不規則な生活に生理不順になり、体のリズムもぐちゃぐちゃでした。そして、決定打となったのが、給料です。業界的に給料も低いことで有名だとは思いますが、休みが7日で1ヶ月夜勤をしても手当としてもらえるのは1万程度でした。日勤で働いてもそんなに差はありません。残業代も小遣い程度しかもらえませんでした。働きに見合った給料も貰えずに、体を壊しては何もならないですし、長くはこの生活は続けられないと感じて、1年でホテル業界とはさよならしました。24時間営業の仕事では夜勤も当たり前ですが、それに見合った待遇と社員の健康面の配慮がしっかりしていないと、ただでさえ従業員の回転率が高いのに今後は出て行くばっかりになってしまうのではないかと感じます。

損保会社事務 上司のパワハラ酷い!

結婚を機に転職いたしました。
全職は営業職でしたので、事務職は久しぶりで不安もありましたが、就業時間は朝9時から18時と
就業時間があってないような営業職時代に比べたら、きっちり18時で終われるのが魅力で転職しました。
転職先は損保会社です。小さな部署の中なので昼間は、ほかの社員は外出が多く男性上司と私の二人になります。
損保の事務の仕事については初心者なので、その上司から仕事を教わっています。が
この上司口が悪く酷いパワハラなんです!こんな人初めて!とびっくりしました。
言われた通りやってりゃいいんだよ!なんて会社で発する言葉でしょうか?
ほんとうにびっくりしました。
1カ月過ぎたころ他の社員さんに廊下で『仕事はそろそろ慣れてきましたか?』と聞かれましたので、思い切って上司の口の悪さに驚いていることを告げました。
そしたら他の部署でも周知の事実だったようで、みんな酷いこと言われて実は陰でキレてる人もいます!我慢していますよとの事でした。
暴言は私に対してだけではないんだと少しだけ納得しましたが、常に机を挟んで顔を突き合わせながら仕事をするので、耐えられるか自信がないです。
その上司は支店長の次のポストの役付きなんです。
悲しいかな我慢するしかないですよ。
時々言い訳のように『私の口の悪いのは本意ではないから気にしないでいいんだよ』言ってきます。
自分に都合がよいですよね それに自覚があるのなら直してほしいです!相手が不愉快になるような言葉を使わないとか、ちょっと気にすれば防げるのに!と悲しくなります。
そんな悪い雰囲気の中で仕事をしていると仕事の効率が下がりますし、仕事時間が早くすぎないかな〜なんて仕事に集中できません。
今は仕事を教わる立場なので、意見したりできませんので、はい はい と素直に仕事を覚えることに集中しようと努めています。
ですからなるべく、昼食は外に出て上司の顔を見ないで済む時間を作ってホッと一息つける場所でくつろぐようにしています。
コーヒーを飲みながら解放されて昼休みの1時間が至福の時になっています。
銀行や郵便局に行ったりする外に出られる時間はなるべくゆっくり時間をかけたくなってしまいます。
毎日帰宅すると夫に愚痴を聞いてもらっています。
ふんふんと聞いてくれる夫には申し訳ない気持ちです。
言い終わった後は、明日こそ我慢して愚痴をはかないことにしよう!と思うのですが
また会社に行って嫌な言葉を浴びせられるかと思うと本当に憂鬱で仕方ありません。
まだ就職して2カ月目に入ったところであきらめるのは早すぎるでしょうかね?
私が成長できる職場なのでしょうか?
今悩んでいますが、今度夫に愚痴ったらきっと 辞めれば?と言ってくれそうです。
というか言ってほしいです。背中を押してほしい!でも自分で決めたいと思います。

IT営業職をやめた理由(20代/女性)

私はIT企業にて営業職をしていました。
周りは男性ばかりで女性社員は私一人。激務でした。会社の近くにマンションを借り、夜中まで仕事をしてタクシー帰宅するのは平均午前3時すぎ。化粧もとらずそのまま倒れるように数時間睡眠し、また出勤という日々を送っていました。もちろん出勤時間は朝一です。システム変更や障害発生など、深夜対応や休日対応も日常茶飯事です。
事務作業などの雑務からお客様対応まで幅広く行わなくてはならず、精神的にも肉体的にもしんどいと感じる様になりました。もちろん、やりがいはありましたので仕事に打ち込んでいましたが、心のどこかでこの生活はいつまで続くのだろうか、と悲観的に思うようになりました。同世代が次々と結婚していき専業主婦となっていったこともあり、そんな姿に憧れることもありました。ある休日、友達と楽しく出かけていた私に一本の電話がなりました。「システムダウンしているのですぐに来てほしい」というお客様からの電話です。休みなので、エンジニアもすぐにはつかまりません。お客様からは怒りの声。上司に相談するも、投げやりで「なんとかしろ」の一点張り。もう無理だと思いましたが、とりあえず、私服でしたがそのままお客様の元に伺い状況を確認。周りの友達は今頃楽しく遊んでいるのになぜ私だけ・・・と、もう涙がでかかっていました。運良く私の知識のみでその場をおさめることができたのですが、これから先退職までこんな日が続くのかと思うと、ぞっとしました。
そんな中、私も結婚をしました。ですが、仕事は継続していました。仕事も家庭も両立するのが理想的だという周りの意見に押され、続ける事にしたのです。もっともっと仕事も頑張ろうと思いました。
年が明けた春、新入社員が入社。私は教育係になりました。
かわいい後輩とやりがいのある仕事。私はやる気をみなぎらせて日々の仕事をこなしていました。
そんな中、複数の社員が退社しました。突然でしたので、後任者も見つかっていませんでした。とりあえず残っているメンバーで抜けたメンバー分を補わなくてはならない。
でも抜けたメンバーは1人ではありませんでしたので、与えられていた予算は倍近く膨らみ、抱えるクライアント数も倍増。加えて新人教育。もう発狂寸前と言っても過言ではなかったと思います。
結婚と同時に家を購入したため、会社から家が遠くなり深夜タクシー帰宅が出来なくなりました。そのため会社に泊まる日が一年間続いていました。夫とは週末ほんの数時間しか顔を合わせず、会話もほとんどありません。冷戦状態となり、結婚2年目にして離婚寸前になってしまいました。
仕事と家庭の両立。これは今の私にとっては無理なんだと思い、夫と相談の上、退職を決意しました。退職後の現在は、事務職で働いています。

食品会社のOLでしたがお局様のターゲットになって辞めました

食品会社の、原料の検査の部署に配属されたけれど、お局様のターゲットになってやめました。
別の人が寿退社をして、年度の中途半端な時期に部署移動でした。
私はもともと検査の知識は持っていて、それより前の職場でも似たような仕事をしていましたが、新しい部署に異動したら、フラスコの置き場から試験管のしまい場所まで一から全部覚え直さなければいけません。
私もいつまでも「以前の部署はこうでした」と言うつもりはありませんし、一切言いませんでした。
しかし、その部署のお局様らしき女性がとてもキツイ人でなかなかなじむことができませんでした。
「前の部署はどうだったの?」と聞くので「こうこうこうでした」と答えると「ウチでは違うから、いつまでも前のつもりでやらないで」とキツイ口調で言われてばかりでした。
新しい部署は前の部署よりいろいろと細かいところまで記録をとならなければならなかったり、器具の洗い方が違ったりしました。
私も一生懸命慣れようとしたのですが、失敗が続いてしまいました。
そうなると、他の人のミスも全て私のせいにされました。
使った覚えのない試験管が汚れていたとか、ビーカーが出しっぱなしだったとか言われ、弁解の機会も与えて貰えませんでした。
また、その部署みんなで使っている器具や機械などの優先順位も不文律のようなものがあり、それを知らされていないのに、間違えるととても責められました。
新しい部署は文章になっていない慣例がとても多く、教えてくれないのに、侵すととても非難されます。
まるで、毎日私だけルールを知らないゲームに参加させられているかのようでした。
後だしでじゃんけんばかりされて、一生懸命馴染もうという気持ちも日に日に薄れていきました。
そんなに私の能力が低いのかな?でも、前の部署ではそれなりに重宝されていた自覚があったのになと落ち込みました。
仕事に行くのは憂鬱な日が続き、このままではダメだと思いました。
貯金は少しあったし、夫もいいよと言ってくれたので、辞めることにしました。
退社までの一カ月はあと何日行ったら会社に行かなくて良い、お局様に合わなくて良いと指折り数えて過ごしました。
退社したあとは二カ月くらいゆっくりと職探しをして、似たような仕事内容の仕事につくことが出来ました。
新しい職場も慣れるまで少し大変でしたが、それでも、ルールの分からないゲームに強制参加させられるというような感覚は無く、憂鬱な日々ではありませんでした。

保育の仕事を辞めた理由

職場環境に悩んで、保育の仕事を辞めました。
上司の先生が椎間板ヘルニアで、その先生とシフトが一緒の時は、オムツ交換など体力を使う仕事を主に一人でしてました。子供の人数は、6〜8人くらいだったと思います。2〜3時間おきに、オムツ交換をしないといけないので、その先生と一緒のシフトに入るときは、体力的に限界でした。52キロあった体重が、47キロまで落ちました。
保育は基本的に、体力勝負です。どんなに子供がかわいくても、体力がないとやっていけません。人間関係にも悩みました。
子供を独占する先生、子供を叱るとき、強い口調、または子供に手を挙げる先生、保護者の文句を影で言う先生、時間ばかりきにして、子供の気持ちになろうとしない先生、そんな先生と仕事をやっていましたので、とてもやりずらかったです。
子供を独占する先生は、いつも同じ子供のオムツしか変えず、子供を叱るとき、強い口調、または手を挙げる先生が怒ると雰囲気が悪くなり、また、子供もも先生を恐れているようでした。保育士とは、子供に恐れられるものではなく、子供に好かれる存在でないといけないと強くおもいました。
保護者の文句を影でいう先生は、OOちゃんのお母さんが嫌いだから。OOちゃんも嫌いとういう感じで、保護者と、子供を切り離して考えることができず、見ていてとても
不快でした。
時間ばかり気にして、子供の気持ちになろうとしない先生は、10時15分までに朝のおやつ、その後散歩11時半から昼ごはんの準備、12時食事介助といったように、大体の時間が決められているのですが、子供が靴を履くのが遅くなったり、ご飯の時間が長引いたりすると、先生がイライラしだしてしまうから、やりずらくて仕方ありません。
子供は、靴を履くのが遅くて当たり前ですし、食事に時間がかかるのも当たり前です。時間ばかりに気を取られ、子供のペースでやらせてあげないのは、とても可愛そうでした。
そして、先生のイライラは子供たちに恐怖、不安などを与えます。
これでは子供が伸び伸びと育つわけがありません。それに、有給休暇もなく、給料は安く、先生達のモチベーションが下がるのも仕方ありません。想像していた職場環境とは、はるかに違うものでした。もっと保育の世界とは、子供達に思いやりをもって、毎日先生はニコニコしていて、子供達に慕われるというイメージでした。
こうした状況に耐えられず、仕事を辞めてしまいました。